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ジープ島 リオデジャネイロ丸

二日目のダイビング。
沈船リオデジャネイロ丸に潜った。

以下、ダイビングの話とは、全く関係が無い。

りおでじゃねろ丸とも言う。
と言うか、こっちが正式名称なんじゃなかろうか。

1930年に竣工された同船は、元はと言えば、
その名の通り、ブラジルへの移住者を、
運ぶために使用された民間船。

長さ147m、1000人以上の乗客を乗せる事が可能で、
当時としては、かなりの大型の部類に入る船だったのではなかろうか。

1936年、ブエノスアイレスで開かれた、日本ペンクラブの大会のため、
有島生馬、島崎藤村と言った名士も、乗込んだ過去が。

華々しい外洋航路船舶とし、活躍した同船の運命も、
開戦と同時に大きく変わる事になる。

1941年、海軍により、特設潜水母艦とし徴用された同船は、
ペナンを拠点に、インド洋での任務にあたる事になる。

特設潜水母艦の役割としては、潜水艦の食料、水、衣服の補充から、
重油の補給、さらに武器、弾薬の補給、また、乗員の休息等々、
潜水艦のアシストを担うのがその中身。

その後、戦況の変化と共に、輸送船が不足しつつあった海軍は、
必要性の薄れつつあった潜水母艦の見直しを進め、
運送船への転籍を図る事になる。

1943年末、輸送船に再改造された同船は、南西方面艦隊直属となり、
兵士、物資の輸送に就く事になる。

1944年2月3日、横須賀を出航し、11日にトラック島到着。

その時、アメリカ軍の攻撃を察知した日本軍は、
主力艦隊を、パラオに避難させたのが、前日の10日。

当時、日本軍の拠点であったトラック島周辺には、
多くの輸送船が停泊しており、それが空襲の被害拡大に
つながってしまった事、さらに、護衛とし、頼るべき軍の艦隊のほとんどが、
逃げ出した後だったあたり、、沈没した船舶にとっては、
どこか取り残された様にも映りってしまう。
同船の運命を思うと、何とも皮肉な話である。

先の富士川丸同様、17日の空襲で、りおでぢやねろ丸は沈没。
半日間、炎上の末の事であった。

戦没者への慰霊、鎮魂のためにも、一度、訪ねても良いのではなかろうか。

リオデジャネイロ丸
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